呉市海岸 後藤静雄

史をよみ文ならなくのことどもを涙とともにゆるし居りぬる

しかとしるわれもはんにゃもなかりけり旅たつ空に雲なかかりそ

つかれしもなにもなさねど暮らし居るわれありがたく秋は更けゆく

呉市海岸 後藤静雄

史をよみ文ならなくのことどもを涙とともにゆるし居りぬる

しかとしるわれもはんにゃもなかりけり旅たつ空に雲なかかりそ

つかれしもなにもなさねど暮らし居るわれありがたく秋は更けゆく

呉市海岸 後藤静雄

史をよみ文ならなくのことどもを涙とともにゆるし居りぬる

しかとしるわれもはんにゃもなかりけり旅たつ空に雲なかかりそ

つかれしもなにもなさねど暮らし居るわれありがたく秋は更けゆく

2006.01.01

宿命の冬ぞ越すらむ春ぞ来る重きを知りて也恨み消ゆ

しかれども世間のにごりとりてけむ我の色にぞ染めてけむ

かくまではゆるされざるを知るころと世間身勝手もはやゆるさず

万軍の主は来たりて号令す全軍出動黄泉は動けり

日本には古来さきそう花ぞある大和のこころ今も咲き居る

                                  呉燈火

2006.01.01

宿命の冬ぞ越すらむ春ぞ来る重きを知りて也恨み消ゆ

しかれども世間のにごりとりてけむ我の色にぞ染めてけむ

かくまではゆるされざるを知るころと世間身勝手もはやゆるさず

万軍の主は来たりて号令す全軍出動黄泉は動けり

日本には古来さきそう花ぞある大和のこころ今も咲き居る

                                  呉燈火

2006.01.01

宿命の冬ぞ越すらむ春ぞ来る重きを知りて也恨み消ゆ

しかれども世間のにごりとりてけむ我の色にぞ染めてけむ

かくまではゆるされざるを知るころと世間身勝手もはやゆるさず

万軍の主は来たりて号令す全軍出動黄泉は動けり

日本には古来さきそう花ぞある大和のこころ今も咲き居る

                                  呉燈火

やはりあなただった

やはりあなただったね。ついに本当になったね。大きな仕事をしたね。知る人は知っている。そして感謝しているよ。知らない人は知らない。それでいいんだよ。味方につけるべきが何だったのかも明らかとなった。あらゆる試練に耐えたあなたを味方にしたい。測り知れない福としての守護がある。本来日本は積善の国家である。しばらくおもしろければいいとする愚かさが支配した。悪こそ人間性であり、力だと思った。無理もない。それが敗戦と言うことだった。勝てば官軍とする明治もそうだった。その帰結が第二次世界大戦だったんだ。その後も同じ支配があった。もういいだろう。時代を変革する。本来日本の精神を取り戻す。

やはりあなただった

やはりあなただったね。ついに本当になったね。大きな仕事をしたね。知る人は知っている。そして感謝しているよ。知らない人は知らない。それでいいんだよ。味方につけるべきが何だったのかも明らかとなった。あらゆる試練に耐えたあなたを味方にしたい。測り知れない福としての守護がある。本来日本は積善の国家である。しばらくおもしろければいいとする愚かさが支配した。悪こそ人間性であり、力だと思った。無理もない。それが敗戦と言うことだった。勝てば官軍とする明治もそうだった。その帰結が第二次世界大戦だったんだ。その後も同じ支配があった。もういいだろう。時代を変革する。本来日本の精神を取り戻す。

やはりあなただった

やはりあなただったね。ついに本当になったね。大きな仕事をしたね。知る人は知っている。そして感謝しているよ。知らない人は知らない。それでいいんだよ。味方につけるべきが何だったのかも明らかとなった。あらゆる試練に耐えたあなたを味方にしたい。測り知れない福としての守護がある。本来日本は積善の国家である。しばらくおもしろければいいとする愚かさが支配した。悪こそ人間性であり、力だと思った。無理もない。それが敗戦と言うことだった。勝てば官軍とする明治もそうだった。その帰結が第二次世界大戦だったんだ。その後も同じ支配があった。もういいだろう。時代を変革する。本来日本の精神を取り戻す。

釈迦が悟った真実

釈迦は真理を悟って、それが今も昔もこれからも変わらない法則だったのです。そしてすべては縁によって生起するとします。原因があって結果があります。困ったことになる原因を作らないことです。困ることになる原因を作った人は困った結果となります。それを変えることはできないのです。それについては甘受するしかありません。自ら蒔いた種は自ら刈り取らねばならないのです。そして反省するのです。二度と同じ轍は踏まないように。それ故、平常心是道。身心清浄と正直こそが厄難より身を救うのです。君子危うきに近寄らずです。それが法則だったのです。そういうことだから日々精進しなさいだったのです。天は自ら助くる者を助くです。釈迦は法則を教え、どうして不幸になるのか、どうすれば幸せなのかを説いていたのでした。それを知って、自分で日々、よく考えて生きていくのです。そしていつか必ず誰もが、見えない世界に受容祝福守護されるようになるのです。それが一切衆生悉有仏性であり、衆生本来仏なりとするところです。そして死んでも死なない魂レベルを自覚するに至ります。それが大死一番絶後に蘇るであり、武士道は死ぬことと見つけたり、です。現実に死ぬのではありません。それではやはり一巻の終わりです。現世において生まれ変わるのです。サナギを通って蝶となるように。そして日月照らし風の吹く本当の幸せを知るのです。祖先と同じ月を見るのでした。前世があり、未来があるのです。この世で何を探し、何を見つけてどこまで至れるか。来世はそこより始まるのでした。それが真実であり、昔より未来永劫貫いているのです。それが縦に貫く経であり、スートラだったのです。元曰く、昔より法に縁なき衆生は度しがたし。

釈迦が悟った真実

釈迦は真理を悟って、それが今も昔もこれからも変わらない法則だったのです。そしてすべては縁によって生起するとします。原因があって結果があります。困ったことになる原因を作らないことです。困ることになる原因を作った人は困った結果となります。それを変えることはできないのです。それについては甘受するしかありません。自ら蒔いた種は自ら刈り取らねばならないのです。そして反省するのです。二度と同じ轍は踏まないように。それ故、平常心是道。身心清浄と正直こそが厄難より身を救うのです。君子危うきに近寄らずです。それが法則だったのです。そういうことだから日々精進しなさいだったのです。天は自ら助くる者を助くです。釈迦は法則を教え、どうして不幸になるのか、どうすれば幸せなのかを説いていたのでした。それを知って、自分で日々、よく考えて生きていくのです。そしていつか必ず誰もが、見えない世界に受容祝福守護されるようになるのです。それが一切衆生悉有仏性であり、衆生本来仏なりとするところです。そして死んでも死なない魂レベルを自覚するに至ります。それが大死一番絶後に蘇るであり、武士道は死ぬことと見つけたり、です。現実に死ぬのではありません。それではやはり一巻の終わりです。現世において生まれ変わるのです。サナギを通って蝶となるように。そして日月照らし風の吹く本当の幸せを知るのです。祖先と同じ月を見るのでした。前世があり、未来があるのです。この世で何を探し、何を見つけてどこまで至れるか。来世はそこより始まるのでした。それが真実であり、昔より未来永劫貫いているのです。それが縦に貫く経であり、スートラだったのです。元曰く、昔より法に縁なき衆生は度しがたし。

釈迦が悟った真実

釈迦は真理を悟って、それが今も昔もこれからも変わらない法則だったのです。そしてすべては縁によって生起するとします。原因があって結果があります。困ったことになる原因を作らないことです。困ることになる原因を作った人は困った結果となります。それを変えることはできないのです。それについては甘受するしかありません。自ら蒔いた種は自ら刈り取らねばならないのです。そして反省するのです。二度と同じ轍は踏まないように。それ故、平常心是道。身心清浄と正直こそが厄難より身を救うのです。君子危うきに近寄らずです。それが法則だったのです。そういうことだから日々精進しなさいだったのです。天は自ら助くる者を助くです。釈迦は法則を教え、どうして不幸になるのか、どうすれば幸せなのかを説いていたのでした。それを知って、自分で日々、よく考えて生きていくのです。そしていつか必ず誰もが、見えない世界に受容祝福守護されるようになるのです。それが一切衆生悉有仏性であり、衆生本来仏なりとするところです。そして死んでも死なない魂レベルを自覚するに至ります。それが大死一番絶後に蘇るであり、武士道は死ぬことと見つけたり、です。現実に死ぬのではありません。それではやはり一巻の終わりです。現世において生まれ変わるのです。サナギを通って蝶となるように。そして日月照らし風の吹く本当の幸せを知るのです。祖先と同じ月を見るのでした。前世があり、未来があるのです。この世で何を探し、何を見つけてどこまで至れるか。来世はそこより始まるのでした。それが真実であり、昔より未来永劫貫いているのです。それが縦に貫く経であり、スートラだったのです。元曰く、昔より法に縁なき衆生は度しがたし。

本来日本の歴史認識

日本は今、歴史的にどのような状況にあるのだろうか。エヴァンゲリオンでは人類補完計画というのが背景にあった。それはそのまま、あるグループの世界人口2億人計画だね。その背景の思想では愛=神とか道徳とかモラルとか幸せは否定されている。かつて封建制は土地を媒体とする農民支配だった。今はどうだろう。お金を媒体とする労働者支配といえるだろうか。封建制は絶対専制君主制に至って滅んだ。そして市民革命を経てブルジョア支配となった。それは、カルバンに発する400年来のことである。恐竜は恐竜で幸せになろうとした。しかし、チラノザウルスが現れて滅んだ。原因は隕石の落下による気象変動だったろうか。それはどうでもいい。その頃、既に、ネズミがいた。そしてほ乳類の時代となった。幸せになるために私たちは生まれている。何度も生まれ変わっている。さてグローバル化は世界統一政府を目指しているのだろうか。しかし、その背景には人間の幸せは否定されている。彼らの思いは、自分たちによる支配であり、他の人間はどこまでも被支配者である。自然を破壊しても顧みない。破壊と殺戮こそ彼らにとって価値となっているのではないか。済州島での隆起もあった。28万人いた人口が3万数千人となった。住民の多くは在日となっている。それで、在日韓国人に対する選挙権が浮上したこともあった。そして済州島の隆起に対しては、3万から6万人が処刑された。朝鮮戦争の頃である。歴史を直視しない民族は滅びるという横断幕がサッカーの国際試合で掲げられたこともあった。そのまま返上しよう。都合によっては、強制連行を言う。創価学会も統一教会も背後に何があるのだろう。さらにその背景として何があるのだろう。いいではないか。所詮、神とサタンの永遠の相克である。幸せを肯定するのであるか。否定するのであるか。知らずに支配されている。だがね、フランス革命もあった。根絶やしはない。良くも悪くも、そういう時代に生まれている。その中で、犬死にしないことだ。一隅を照らす。それでいい。衆生本来仏なりである。蓮華の前に化生する。本来日本はそれをかつて選んだ。しかし、いつのまにか見失われている。身心清浄及び正直こそ身を助ける。それが本来日本の大和魂である。一芸は身を救うに等しい。いつのまにか愚かで殺伐とした日本社会となった。若者及び子供たちが勘違いしている。その責任は大人にある。思い出そうではないか。見直そうではないか。このままでいいのかどうか。本来日本の精神は何だったのか。道元においては貧学道だった。それでいいのである。愛と平和を隠れ蓑に世界支配を試みるのであるか。本当の幸せを求めるのであるか。何のために生まれていたのだったか。子供たちの未来の夢は、殺戮なくして平和を勝ち取ることである。市民革命も流血の革命から名誉革命となったように。人類が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。自然は征服できない。私たち人間は自然の一部である。自然と共に生きて幸せであることを本来日本は知っていた。再び、自然に帰ろう。見える世界だけでこの世が出来ているのではない。神仏は実在する。神仏の求めていたのは何だったのか。もう一度、考えてみないか。サタンに屈してはならない。その必要はない。本当に愛を信じるなら、自然が証明する。死んでも死なない魂である。この世は過去からの魂の遍歴の一コマでしかない。そして夢の実現過程である。戦争ではない。殺戮でもない。自然破壊ではない。私たちは、幸せになるために生まれている。野蛮な潮流から脱しよう。魂と自然は連動している。猛暑及びゲリラ豪雨は何故であるか。私たちの魂の周波数状態の反射ではないのか。何がはびこったかとするところである。おだやかでいい。やさしさでいい。みんなそれを求めている。しかしあらゆるメディアがイライラしているよね。このあたりから、始めないか。だれもが幸せになるために。犠牲の上の繁栄は滅びる。

本来日本の歴史認識

日本は今、歴史的にどのような状況にあるのだろうか。エヴァンゲリオンでは人類補完計画というのが背景にあった。それはそのまま、あるグループの世界人口2億人計画だね。その背景の思想では愛=神とか道徳とかモラルとか幸せは否定されている。かつて封建制は土地を媒体とする農民支配だった。今はどうだろう。お金を媒体とする労働者支配といえるだろうか。封建制は絶対専制君主制に至って滅んだ。そして市民革命を経てブルジョア支配となった。それは、カルバンに発する400年来のことである。恐竜は恐竜で幸せになろうとした。しかし、チラノザウルスが現れて滅んだ。原因は隕石の落下による気象変動だったろうか。それはどうでもいい。その頃、既に、ネズミがいた。そしてほ乳類の時代となった。幸せになるために私たちは生まれている。何度も生まれ変わっている。さてグローバル化は世界統一政府を目指しているのだろうか。しかし、その背景には人間の幸せは否定されている。彼らの思いは、自分たちによる支配であり、他の人間はどこまでも被支配者である。自然を破壊しても顧みない。破壊と殺戮こそ彼らにとって価値となっているのではないか。済州島での隆起もあった。28万人いた人口が3万数千人となった。住民の多くは在日となっている。それで、在日韓国人に対する選挙権が浮上したこともあった。そして済州島の隆起に対しては、3万から6万人が処刑された。朝鮮戦争の頃である。歴史を直視しない民族は滅びるという横断幕がサッカーの国際試合で掲げられたこともあった。そのまま返上しよう。都合によっては、強制連行を言う。創価学会も統一教会も背後に何があるのだろう。さらにその背景として何があるのだろう。いいではないか。所詮、神とサタンの永遠の相克である。幸せを肯定するのであるか。否定するのであるか。知らずに支配されている。だがね、フランス革命もあった。根絶やしはない。良くも悪くも、そういう時代に生まれている。その中で、犬死にしないことだ。一隅を照らす。それでいい。衆生本来仏なりである。蓮華の前に化生する。本来日本はそれをかつて選んだ。しかし、いつのまにか見失われている。身心清浄及び正直こそ身を助ける。それが本来日本の大和魂である。一芸は身を救うに等しい。いつのまにか愚かで殺伐とした日本社会となった。若者及び子供たちが勘違いしている。その責任は大人にある。思い出そうではないか。見直そうではないか。このままでいいのかどうか。本来日本の精神は何だったのか。道元においては貧学道だった。それでいいのである。愛と平和を隠れ蓑に世界支配を試みるのであるか。本当の幸せを求めるのであるか。何のために生まれていたのだったか。子供たちの未来の夢は、殺戮なくして平和を勝ち取ることである。市民革命も流血の革命から名誉革命となったように。人類が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。自然は征服できない。私たち人間は自然の一部である。自然と共に生きて幸せであることを本来日本は知っていた。再び、自然に帰ろう。見える世界だけでこの世が出来ているのではない。神仏は実在する。神仏の求めていたのは何だったのか。もう一度、考えてみないか。サタンに屈してはならない。その必要はない。本当に愛を信じるなら、自然が証明する。死んでも死なない魂である。この世は過去からの魂の遍歴の一コマでしかない。そして夢の実現過程である。戦争ではない。殺戮でもない。自然破壊ではない。私たちは、幸せになるために生まれている。野蛮な潮流から脱しよう。魂と自然は連動している。猛暑及びゲリラ豪雨は何故であるか。私たちの魂の周波数状態の反射ではないのか。何がはびこったかとするところである。おだやかでいい。やさしさでいい。みんなそれを求めている。しかしあらゆるメディアがイライラしているよね。このあたりから、始めないか。だれもが幸せになるために。犠牲の上の繁栄は滅びる。

本来日本の歴史認識

日本は今、歴史的にどのような状況にあるのだろうか。エヴァンゲリオンでは人類補完計画というのが背景にあった。それはそのまま、あるグループの世界人口2億人計画だね。その背景の思想では愛=神とか道徳とかモラルとか幸せは否定されている。かつて封建制は土地を媒体とする農民支配だった。今はどうだろう。お金を媒体とする労働者支配といえるだろうか。封建制は絶対専制君主制に至って滅んだ。そして市民革命を経てブルジョア支配となった。それは、カルバンに発する400年来のことである。恐竜は恐竜で幸せになろうとした。しかし、チラノザウルスが現れて滅んだ。原因は隕石の落下による気象変動だったろうか。それはどうでもいい。その頃、既に、ネズミがいた。そしてほ乳類の時代となった。幸せになるために私たちは生まれている。何度も生まれ変わっている。さてグローバル化は世界統一政府を目指しているのだろうか。しかし、その背景には人間の幸せは否定されている。彼らの思いは、自分たちによる支配であり、他の人間はどこまでも被支配者である。自然を破壊しても顧みない。破壊と殺戮こそ彼らにとって価値となっているのではないか。済州島での隆起もあった。28万人いた人口が3万数千人となった。住民の多くは在日となっている。それで、在日韓国人に対する選挙権が浮上したこともあった。そして済州島の隆起に対しては、3万から6万人が処刑された。朝鮮戦争の頃である。歴史を直視しない民族は滅びるという横断幕がサッカーの国際試合で掲げられたこともあった。そのまま返上しよう。都合によっては、強制連行を言う。創価学会も統一教会も背後に何があるのだろう。さらにその背景として何があるのだろう。いいではないか。所詮、神とサタンの永遠の相克である。幸せを肯定するのであるか。否定するのであるか。知らずに支配されている。だがね、フランス革命もあった。根絶やしはない。良くも悪くも、そういう時代に生まれている。その中で、犬死にしないことだ。一隅を照らす。それでいい。衆生本来仏なりである。蓮華の前に化生する。本来日本はそれをかつて選んだ。しかし、いつのまにか見失われている。身心清浄及び正直こそ身を助ける。それが本来日本の大和魂である。一芸は身を救うに等しい。いつのまにか愚かで殺伐とした日本社会となった。若者及び子供たちが勘違いしている。その責任は大人にある。思い出そうではないか。見直そうではないか。このままでいいのかどうか。本来日本の精神は何だったのか。道元においては貧学道だった。それでいいのである。愛と平和を隠れ蓑に世界支配を試みるのであるか。本当の幸せを求めるのであるか。何のために生まれていたのだったか。子供たちの未来の夢は、殺戮なくして平和を勝ち取ることである。市民革命も流血の革命から名誉革命となったように。人類が滅んでも地球は痛くもかゆくもない。自然は征服できない。私たち人間は自然の一部である。自然と共に生きて幸せであることを本来日本は知っていた。再び、自然に帰ろう。見える世界だけでこの世が出来ているのではない。神仏は実在する。神仏の求めていたのは何だったのか。もう一度、考えてみないか。サタンに屈してはならない。その必要はない。本当に愛を信じるなら、自然が証明する。死んでも死なない魂である。この世は過去からの魂の遍歴の一コマでしかない。そして夢の実現過程である。戦争ではない。殺戮でもない。自然破壊ではない。私たちは、幸せになるために生まれている。野蛮な潮流から脱しよう。魂と自然は連動している。猛暑及びゲリラ豪雨は何故であるか。私たちの魂の周波数状態の反射ではないのか。何がはびこったかとするところである。おだやかでいい。やさしさでいい。みんなそれを求めている。しかしあらゆるメディアがイライラしているよね。このあたりから、始めないか。だれもが幸せになるために。犠牲の上の繁栄は滅びる。